岩櫃山の登山は鎖場が連続!東吾妻町の岩場を周回2時間で歩く

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群馬県吾妻郡東吾妻町にそびえる岩櫃山は、標高802mと低めながら、鎖場とハシゴが短い距離に詰め込まれた岩山です。古谷登山口に掲げられた案内では体力レベル2、技術レベルCに分類されていて、平沢登山口から一周するだけなら2時間ほどで歩き終えます。

吾妻川の北岸から切り立つ岩肌は、ふもとの道からでもよく目立ちます。頂上に立つと視界が大きく開け、晴れていれば富士山まで見渡せるそうです。冬に登った人の記録には、雪をかぶった浅間山がみごとだったと書かれていました。

もうひとつの楽しみは、中腹に残る岩櫃城跡です。真田氏が拠点として使った山城で、続日本100名城にも数えられています。

目次

岩櫃山の難易度は体力レベル2・技術レベルC

岩櫃山の評価は、体力レベル2が10段階の下から2番目、技術レベルCがAからEまでの5段階の真ん中にあたります。

この区分は「山のグレーディング」と呼ばれ、ルートの厳しさを体力と技術という2本の物差しで表します。体力度のほうは1から10まであり、数字が上がるほど長い距離や長い時間、きつい運動に耐える力が必要になります。技術的難易度のほうは、岩場や鎖場、雪渓をどう越えるか、道の判別がどれだけ難しいかを評価したもので、Eに近づくほど難しくなります。

道の判別は、登山の世界では「ルートファインディング」と呼ばれます。踏み跡がない場所や、進む方向が分かりにくい場所で、いちばん安全に抜けられる道筋を自分で見つけ出す技術のことです。

グレーディングの評価には前提があります。どのレベルも、雪のない時期の晴れた日に、そのルートが持つ地形の特徴だけを見て決めたものです。雪のある時期や天気の悪い日に歩けば、案内に示されたレベルより厳しくなりえます。各県がこうしたグレーディングを用意しているのは、山での遭難を減らすためです。

登山口は平沢口と郷原口の2つで、駐車場の広さに大きな差がある

岩櫃山へ登るときの出発点は、おもに平沢口と郷原口の2か所です。どちらも入山料は不要で、駐車場も無料で使えます。地元の観光案内は、一般社団法人東吾妻町観光協会が受け付けています。

平沢口はJR群馬原町駅から歩いて40分、車なら渋川ICから約40分

平沢口の駐車場は70台分です。平沢登山口へは、関越道の渋川ICを降りてから車で約40分で着きます。電車の場合はJR吾妻線の群馬原町駅で降り、登山口まで40分ほど歩きます。

平沢の登山口に建つのは「岩櫃山平沢登山口観光案内所」で、トイレはその隣にあると報告されています。冬に訪れた人の記録では、使えたのは多目的トイレだけでした。赤岩通りの登山口にも仮設トイレが置かれているという報告があります。

郷原口はJR郷原駅から歩いて30分、駐車場は10台分

郷原口の起点となる古谷登山口へは、JR吾妻線の郷原駅から30分ほどで歩けます。駐車場は10台分です。この登山口から見上げると、切り立った岩櫃山がみごとな姿で目に入ります。

周回なら約2時間、駅から駅へ歩く縦走なら約3時間から4時間

平沢登山口を出て戻ってくる周回なら、所要時間は2時間弱です。YAMAPが公開している周回のモデルコースでは、距離2.7kmに対して標準タイムが1時間56分と示されています。

YAMAPとは別の解説では、区間ごとの時間も示されています。平沢登山口から天狗の蹴り上げ岩までが約55分、山頂から天狗岩までが約8分です。

電車で来た人には、郷原駅から登りはじめて群馬原町駅へ抜ける縦走もあります。郷原駅から古谷登山口、密岩登山口を通って頂上を踏み、岩櫃山の登山口へ下りて群馬原町駅まで歩く道のりです。距離は約6km、登りの累積標高は約433mで、標準タイムは約2時間54分とされています。

ただ、実際に歩いた人のなかには、郷原駅から群馬原町駅まで4時間近くかかった例もあります。

鎖場が集中するのは天狗の蹴り上げ岩と密岩通り

岩櫃山のいちばんの特徴は、短い行程のあいだに鎖場とハシゴが立て続けに現れることです。おもな場所は、天狗の蹴り上げ岩の付近と、山頂直下を含む密岩通りです。

天狗の蹴り上げ岩の周辺にはハシゴと鎖場

平沢登山口から1時間ほどで着く天狗の蹴り上げ岩のあたりでは、ハシゴと鎖場が続きます。この山を紹介した記事は、ここで転ぶとそのまま転落や滑落に至りかねない場所があるとして、注意を促しています。

密岩通りは鞍部から頂上まで鎖場が連続

密岩通りでは、尾根のくぼんだ部分にあたる鞍部を越えたところから、鎖場がいくつも続きます。頂上の手前には、少し長めの鎖場も待っています。

2024年12月にこの道を歩いた人は、山頂直下の鎖について、登りでも下りでも緊張したと書いています。同じ人は、鎖場の多いこのコースを歩く前は実際より易しいと見積もっていたそうです。その記録には、後から難度を調べると星3つの評価だったとも書かれています。

天狗の架け橋は2025年11月の時点でも通行禁止と報告されている

天狗の架け橋は、左右がすっぱり切れ落ちた細い岩の尾根です。この岩尾根は、通行禁止になっているという報告が続いています。

2020年12月に歩いた人は、滑落事故があったとみられる進入禁止の看板を見て、右側へ回り込む迂回路を選びました。迂回路といっても鎖場で、右手は切れ落ちています。

2025年11月の登山記録にも、天狗の架け橋は通れないようだと書かれていました。道が分かれる地点で左へ進むと架け橋に向かいます。別の人も、尾根の鞍部の近くで架け橋が通行止めになっていて入れなかったと報告しています。

規制がいつまで続くのか、どの範囲が対象なのかは、時期によって変わることがあります。出発前に東吾妻町観光協会などで最新の情報を確かめ、現地では案内看板の指示に従ってください。

鎖場では1本の鎖に1人ずつ、三点支持で一歩ずつ進む

鎖場を安全に越えるための基本は、1本の鎖に取り付くのは1人だけという決まりです。前の人が登り切るか下り切るまで、次の人は待ちます。反対側から来る人がいたら、声をかけ合ってどちらが先に行くかを決めておきます。

山岳ガイドが挙げる準備と動き方は、ほかにもあります。ストックのように岩や鎖に引っかかりやすい道具は、鎖場に入る前にザックへしまいます。手袋は滑りにくく、しっかり握れるものを選びます。そのうえで岩は手でつかみ、両手両足のうち三つで常に体を支える「三点支持」を守りながら、一歩ずつ体を上げていきます。

感覚としては、はしごを登るときに近いそうです。足は岩に対してまっすぐに置き、登山靴の底のグリップで体重を受け止めます。

別の山の例ですが、埼玉県警は、両神山で起きた遭難5件のうち3件が鎖場での滑落や転倒だったとまとめました。鎖場の事故は重大事故につながりやすいとして、鎖がどう取り付けられているかをよく見ること、鎖場の前後で短い休憩をとって筋肉の疲れを抜くことを登山者に呼びかけています。

鎖場で怖さを感じるのは、悪いことではありません。山岳ガイドは、その怖さは危険な場所に対する正常な反応だとしています。怖さを乗り越えるには、自分が納得できる安全策を考えておくことが大切だそうです。

雪の日は登らない、赤岩付近では2026年5月にクマの目撃

岩櫃山は標高こそ高くありませんが、岩場で何度も滑落事故が起きてきた山です。雪が降っているときは、登山そのものを見合わせてください。

2026年5月には、赤岩の付近でクマが目撃されました。

岩櫃城跡は約136ヘクタールで、群馬県内でも最大級の中世城館跡

山の中腹にある岩櫃城跡は、吾妻川北岸の岩峰に築かれた山城の跡です。史跡として指定された範囲はおよそ136ヘクタールに及び、群馬県内の中世の城館跡のなかでも最大級の広さがあります。所在地は東吾妻町大字原町です。

平成29年(2017年)に続日本100名城の117番に選ばれ、令和元年(2019年)10月16日には国の史跡になりました。さらに令和3年(2021年)12月には、範囲が追加で指定されています。

国の答申では、岩櫃城は城下町まで取り込んだ大規模で複雑な縄張りを持つ、特異な山城とされています。歩いた人の記録によると、二の丸や本丸の形がはっきり残っているほか、長い竪堀も目にできます。

史跡の詳しい内容は、東吾妻町教育委員会の社会教育課が案内しています。

竪堀と堀切は、尾根と斜面からの敵を止めるための空堀

城跡を歩くと出てくる「竪堀」と「堀切」は、どちらも空堀の一種です。山城では、堀切、竪堀、横堀の3種類の空堀がよく使われました。

堀切は、敵が攻め上ってくる尾根を断ち切るように掘った堀です。尾根を切られると攻める側は足止めされ、守る側は上から見下ろして戦えます。

竪堀は、斜面に沿って縦に掘った堀で、斜面にいる敵が横へ回り込むのを防ぎます。堀切で行く手をふさがれた攻め手は、横の斜面から入り込もうとします。それを防ぐために、堀切の延長線上に縦の堀を延ばしたのが竪堀の始まりとされています。広い範囲に竪堀を張り巡らせた城も報告されています。

竪堀には、斜面を登りにくくする役目があったという説もあります。一方で、岩櫃城のように城への通路を兼ねた竪堀もあり、使い道をひとつに決めるのは難しいようです。

曲輪は平らに整えた区画、切岸は人工の急斜面

「曲輪」は、土塁や堀といった防御の設備に囲まれた区画を指します。山城の場合は、山を削って平らにならした場所も曲輪に含まれます。

「切岸」は、山を切り落として造った人工の急な斜面のことです。

続日本100名城は日本100名城と合わせて200城

続日本100名城は、2017年4月に公益財団法人日本城郭協会がまとめた城の一覧です。2006年に選ばれた日本100名城は、1つの都道府県から5城までという枠があったため、選に漏れた名城がたくさんありました。その穴を埋める形で選ばれたのが続日本100名城で、両方を合わせると200城になります。

2018年4月6日には、公式スタンプ帳にスタンプを集めて登城の認定を受ける公式スタンプラリーも始まりました。

岩櫃城は斉藤氏の拠点から真田氏の拠点へ移った

岩櫃城を最初に築いた人物は分かっていません。

永禄年間の岩櫃城は、斉藤氏が本拠にしていました。斉藤憲次が主君だった大野憲直を討って城を奪い、吾妻地方を治めるようになったと伝わります。永禄3年(1560年)には長尾景虎、のちの上杉謙信が城を攻め落としたという説もありますが、城はその後ふたたび斉藤氏のものに戻りました。

斉藤氏から城を奪ったのは真田氏です。真田幸村の祖父にあたる真田幸隆が攻め落とし、永禄6年(1563年)に斉藤氏は越後へ落ちのびたとされます。その後、岩櫃城は武田氏や真田氏が治める土地になり、天正年間以降は真田氏が支配を続けました。

城を大きく造り替えたのは真田昌幸です。昌幸は今に残る城郭に手を加え、この城を沼田城や名胡桃城、上田城へ通じる街道の要に据えました。その改修によって、中心となる主郭から壕が放射状にのびる特殊な構造ができあがりました。

天正10年(1582年)に武田氏が滅びるとき、昌幸は武田勝頼を岩櫃城へ迎え入れようとしました。しかしこの計画は実現しませんでした。その後、城は昌幸の嫡男である真田信之に任されています。

岩櫃山は約600万年前の吾妻古火山が削られてできた岩峰

切り立った岩肌の正体は、古い火山の名残です。地質の面から見ると、約600万年前に火を噴いていた吾妻古火山が浸食で削られ、その末に残ったのが岩櫃山の岩峰です。

山には岩窟遺跡もあります。1940年には長田実が「上州岩櫃山岩窟遺跡発掘記」を『考古學』11巻2号の82〜87ページに発表しました。この報告は現在、国立文化財機構が運営する遺跡報告データベース上で公開されています。

紅葉の見頃は例年11月上旬から中旬、11月3日には紅葉祭

秋に登るなら、11月上旬から中旬が狙い目です。色づくのはカエデとブナです。

ウェザーニュースの予想(9月12日時点)では、見頃の始まりは11月8日ごろ、葉が落ちはじめるのは11月23日ごろでした。

11月3日は東吾妻町の「紅葉祭」の日で、毎年開かれるこの祭りには県の内外から大勢の観光客が集まります。

岩櫃山は周回2時間、鎖場とハシゴが続く技術レベルCの山

岩櫃山は標高802mながら技術レベルCに分類され、鎖場とハシゴが続く岩山です。周回は約2時間、縦走は約3時間から4時間で歩け、天狗の架け橋には通行禁止の報告があります。

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