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右田ヶ岳は山口県防府市にある標高426メートルの岩山で、初めて登る人には天徳寺コースで登って塚原コースへ下りる周回が向いています。この周回は登山地図アプリのコース定数が「やさしい」にあたる10で、体力面の負担は大きくありません。そのかわり花崗岩の岩場と鎖場が途中にあるため、足回りの準備と、怖い岩は迂回路でかわす判断が欠かせません。
山口県百名山に選ばれている山で、防府天満宮から車で約10分という近さです。低い山なのに、花崗岩の巨岩がむき出しになったゴツゴツした山容をしていて、山口県の観光情報も本格的な岩場と鎖場を楽しめる岩峰として取り上げています。山頂に立つと防府市の市街地が一望でき、晴れた日には瀬戸内海の方角まで視界が開けます。晴天の日のこの眺めは、登った人たちからの評判も上々です。
人気の高さは数字にも出ています。YAMAPという登山地図アプリがまとめている「登られた山ランキング」を見ると、毎年のように中国エリアのベスト5に入っています。手軽に歩ける道と、岩登りが中心の挑戦的な道がどちらもそろっていて、初めての人から登山を長く楽しんでいる人までが同じ山に集まります。だからこそ初心者は、自分の経験と体力に見合った登山口とコースを選ぶことが大切です。

右田ヶ岳の初登山は天徳寺から登り塚原へ下る約2時間42分の周回
登りにはスリルのある天徳寺コース、下りには比較的なだらかな塚原コースを割り当てる組み合わせです。
この周回を実際に歩いた記録を見ると、行程はおよそ2時間42分、距離は3.6キロメートル、登りの累積標高は446メートルでした。休憩を入れた全体の目安は約3時間です。天徳寺から山頂だけなら道のりは約2キロメートルで、かかる時間の目安は約90分です。
天徳寺・勝坂・塚原の3つの登山口は性格がはっきり違う
右田ヶ岳でよく使われる登山口は3つあり、それぞれ歩く目的が異なります。
| 登山口 | コースの特徴 | 向いている使い方 |
|---|---|---|
| 天徳寺 | いちばん人気の登山口で、寺の境内から歩き始める。歴史や文化に触れながら登れる | 初めての登り |
| 勝坂 | 岩の景色が中心のコース。岩場の登りが続き、西峰を経由して山頂へ向かう歩き方が多い | 岩場をじっくり楽しみたいとき |
| 塚原 | 比較的ゆるやかな道 | 移動や下山 |
歩いた人の記録には、続く岩の登りを「けっこうしんどい」と振り返る声も残っています。
コース定数10は体力的なきつさが小さいことを表す数値
コース定数とは、登山道を歩くときに体がどれだけきついかを、全国どこでも同じものさしで数字に置きかえた指標です。これまでのガイドブックでは、体力度を著者の感覚で決めることが多く、本ごとに評価がばらついていました。そのばらつきをならすために作られたのがコース定数で、数字が小さければ小さいほど体への負担が軽いコースになります。
ただ、コース定数が低くても、岩場や鎖場のある区間では一歩ずつ慎重に動く必要があります。
右田ヶ岳の見どころは花崗岩の岩場で、雨の日と雨上がりは滑りやすい
この山でいちばんの見せ場は花崗岩の岩場で、挑戦的な区間では高度感を十分に味わえたという登山記録があります。
その花崗岩は、雨が降っている日や雨が上がった直後に滑りやすくなります。岩場に自信がない初心者は、岩登りが中心の挑戦的なルートには入らず、ゆるやかなコースを選ぶと安心して歩けます。
花崗岩の節理と風化を知ると巨岩の見え方が変わる
花崗岩は、地下深くにあるマグマが長い時間をかけて冷え、そのまま固まってできた深成岩の仲間です。日本の花崗岩には節理と呼ばれる割れ目がよく発達していて、風化はその割れ目に沿って進みます。
そのため、風化した部分とまだ風化していない部分が入りまじりやすくなります。割れ目に沿って風化が進んだあとに残った、風化していない岩のかたまりがコアストーンです。一方、風化した花崗岩が崩れて土のようになったものはマサ土と呼ばれ、風化の進み具合によって砂っぽいものから粘土っぽいものまで性質が変わります。右田ヶ岳のむき出しの巨岩も、こうした花崗岩の性質を頭に入れて眺めると、いっそう面白く感じられるでしょう。
右田ヶ岳の鎖場は三点支持を守り、一人ずつ取りついて通過する
鎖場とは、露出した岩場や岩の尾根で、安全のために鎖が取りつけられている危険箇所のことです。通るときの基本は三点支持で、両手両足のうち三か所で体を支え、残りの一か所だけを動かします。
足を置ける場所を探してから一か所ずつ動かし、歩幅は小さめにしてください。そうするとバランスを崩しにくくなります。
鎖をつかむのは一人ずつです。混雑している場面では、登る人と下りる人のどちらが先に行くか、声をかけ合って順番を決めてください。また、鎖場の手前と通り終えたあとに小休止をはさむと、筋肉の疲れを抑えられます。
鎖場を前に怖いと感じるのは、危ない場所に対する自然な反応です。通る前に先の様子をよく見て、無理はしないでください。
チャレンジコースは上級者向けで、山頂直下の岩は迂回路を使うのが安全
岩登りが中心のチャレンジコースは上級者向けで、ロッククライミングに近い道だと紹介されることもあります。そんな道でも何度も通うリピーターが多く、岩登りを楽しみたい人には人気があります。歩いた人の中には、クライミングの経験があれば初心者でも登れそうだと感じた人もいますが、山の経験が浅い人にとっては負担の大きい区間です。
岩場には鎖のついた箇所が点在し、区間によっては迂回路も設けられています。たとえば頂上のすぐ下にある岩では、岩そのものには鎖もロープもなく、すぐ横の迂回路のほうに鎖がついていたという記録があります。岩をよじ登るのにこだわらず、迂回路を選ぶのが安全な判断です。下りでは浮石と岩場に気をつけ、慎重に足を運んでください。
分岐が多く道標が少ないので、迷ったら来た道を戻る
右田ヶ岳は、詳しい地図が手に入りにくく、道標も多くありません。それなのに、標高や山の大きさのわりに分岐がとても多い山です。地図アプリで現在地を確かめながら進み、道がわからなくなったら来た道を戻ると決めておきましょう。
出発前にそろえたいのは登山靴と雨具と手袋、そして日没前に下りる計画
花崗岩の岩場を歩くなら、スニーカーより滑りにくい登山靴のほうが安心です。軽装のまま山に入ると遭難につながるおそれがあります。岩場に備えて、手袋も用意しておきましょう。
雨具も忘れずに持参し、天気が怪しい日は無理に登らないことを基本にしてください。
時間の計画も大切で、日が暮れる前に下山できるように予定を組みます。低山であっても、遅い時間から登り始めるのは避けてください。
岩場の状態や通行できるかどうかは、変わることがあります。出発の前に防府市などが出している最新の情報や、現地の案内を確かめてから山に入りましょう。
車なら右田小学校前の登山者用駐車場へ、休日は朝9時に満車の記録も
車で向かう場合、山陽自動車道の防府東ICか防府西ICから約5分で着きます。天徳寺コースから登る人は、右田小学校の前にある登山者専用の駐車場に車を停め、そこから登山口まで歩きます。
休日はこの駐車場が混み合います。午前8時過ぎの時点で、すでにかなりの台数が停まっていた、9時の時点で空きがなくなっていた、という登山記録もあるので、早めの到着を心がけてください。
右田小学校のグラウンドの脇には屋外トイレがあり、登山をする人も使えるようになっています。
公共交通機関なら、JR防府駅から天徳寺方面のバス(中山経由堀行き)に乗ります。約10分で塚原バス停に着きます。バス停から登山口までは徒歩約8分です。
天徳寺の登山道には三十三体の観音像と樹齢約800年のイチョウがある
天徳寺コースは、歩き始める前から見どころがあります。天徳寺は右田ヶ岳のふもとにある寺で、境内にこのコースの登山口があります。境内で目を引くのは大イチョウで、樹齢は約800年といわれます。秋になると、その葉が一面の黄色に変わります。
この寺は右田毛利氏の菩提寺にあたります。菩提寺とは、一族が先祖代々の墓を置き、葬儀や法要を任せている寺のことです。「菩提」はもともと悟りを表す言葉ですが、日本では亡くなった人を供養して得られる安らぎや、来世での幸せという意味でも使われるようになりました。寺の東側の山すそには、右田毛利家の墓所があります。
観音像は大正時代に人々が自然石に彫ったもの
登山道を歩くと、自然の石に彫られた観音像がいくつも目に入ります。これらは大正時代に、観音を信仰する人々が家の繁栄などを願って彫ったものだそうです。天徳寺から前岳の山頂までのあいだに、三十三体の観音像が並んでいます。天徳寺口のルートは、石船山を通って前岳へ、さらに山頂方面へと続きます。
三十三という数は、法華経の観世音菩薩普門品第二十五、いわゆる観音経からきています。観音菩薩は人々を救うために33の姿に変わるという教えがあり、その数にちなんでいます。
右田ヶ岳の山腹には鎌倉時代末期に築かれた右田ヶ岳城があった
右田ヶ岳には、山腹から山頂付近にかけて右田ヶ岳城という城がありました。築かれたのは鎌倉時代末期の頃とされ、それ以来、右田氏が代々住む城だったと伝わっています。いまでは城の遺構はほとんど残っていません。
城主の右田氏は、大内氏から分かれた一族です。戦国時代の天文24年(1555年)に毛利氏が防長経略を始めると、城主の右田隆量は毛利氏に抵抗しました。その後に降伏し、毛利氏に仕えたとされています。
防長経略で大内氏は滅び、毛利氏が周防と長門を手に入れた
防長経略とは、毛利元就が周防と長門に攻め込んだ一連の作戦のことです。元就は、天文24年(1555年)に起きた厳島の戦いで、大内氏の重臣の陶晴賢を倒しました。その後、1555年から1557年にかけてこの作戦を展開し、調略で大内方の内側を揺さぶりながら兵を進めました。そして弘治3年(1557年)、大内氏は滅び、その旧領は毛利氏のものになりました。
大内氏はそれ以前から力を落としていました。1551年の大寧寺の変で、当主の大内義隆が家臣の陶隆房に背かれて自害していたためです。
右田氏が分かれ出た大内氏は「西の京」山口を本拠にした守護大名
大内氏は、周防国(いまの山口県)を本拠として西日本に勢力を広げた守護大名です。一族の始まりは琳聖太子だという言い伝えがあり、この琳聖太子は百済の聖明王の第3王子とされています。はじめは多々良氏を名乗っていて、平安時代に大内の地を本拠にしたことから大内氏と称するようになったと伝わります。
周防国府の役人から出発した一族は守護大名へと成長し、守護職に任じられたのは周防、長門、石見、豊前、筑前の5か国です。もっとも勢いがあった大内義隆の時代には、守護職とは別に、実際に支配した国が6か国にのぼったとされます。大内氏が拠点を置いた山口は「西の京」の名で呼ばれ、この町で京都の文化と朝鮮や明の文化がまじり合い、大内文化が花開きました。
天徳寺を菩提寺とする右田毛利家は毛利元就の七男が祖
右田毛利家は、毛利元就の七男で天野家を継いだ毛利元政から始まる家です。毛利氏の支流のひとつにあたります。毛利氏そのものは、鎌倉幕府の御家人で相模国毛利荘を治めた毛利季光を祖とする一族です。
元就の子どもたちの子孫は、江戸時代に一門や家老として藩の運営で重い役目を担いました。右田毛利家が受け継いできた文書の中には、各地の大名から毛利元政に届いた手紙が多く、加藤清正の書状や島津義弘の書状も含まれているそうです。
まとめ
右田ヶ岳は防府市にある標高426メートルの岩山で、初めてなら天徳寺から登って塚原へ下る、コース定数10の周回がおすすめです。花崗岩の岩場と鎖場は三点支持で一人ずつ通過し、山頂直下のような怖い岩は迂回路を使ってください。分岐が多い山なので、地図アプリで現在地を確かめ、迷ったら引き返す心づもりで歩きます。
滑りにくい登山靴と雨具と手袋をそろえ、日没前に下りられる時間に出発しましょう。休日は右田小学校前の駐車場が混み、午前9時に満車だった記録もあるので、早めに着くと安心です。登山口の天徳寺では樹齢約800年のイチョウ、登山道では大正時代の三十三体の観音像に出会えます。








